日本では1980年代後半頃より、アメリカでの人気隆盛の動きに呼応する形でハウスを主体とするDJが登場するようになった。先駆的な活動を行ったDJ・アーティストとして、1980年に単身ニューヨークに渡り、ハウスを日本に伝導した高橋透を筆頭に、1986年に渡米し、ラリー・レヴァン等とともにパラダイス・ガラージでプレイを行っていたNORI、80年代後半に渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsの一員として活動を行った富家哲(SATOSHI TOMIIE)、1980年にDJ活動を始め、1990年より芝浦で営業を開始したディスコGOLDの立ち上げに、前述した高橋透、NORI等とともに関わった中村直(NAO NAKAMURA)、1985年より活動を開始し、1989年に開催されていたパーティ「コニーズ・パーティ」のレジデントDJを務めたEMMA、1984年の活動開始以降ハード・ハウスプログレッシブ・ハウスシーンの中心人物となった木村コウ等がいる。また、1990年にディー・ライトの一員としてアメリカでメジャーデビューを果たし、『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』などのヒットを記録したテイ・トウワの活動も特筆すべきである。
1990年代初頭には、GOLDの人気上昇、及び後を追うようにしてオープンしたクラブの大量発生、そしてハウスを標榜した数多くのDJやアーティストの登場などにより、日本におけるハウスの土壌は一定の定着を見た。
以後、今日まで多くのイベントやパーティが催されている他、大沢伸一のようにハウスの特徴を取り入れた楽曲リリースを続けるアーティストや、田中知之(Fantastic Plastic Machine)やEMMAなどのようなメジャーデビューを果たすアーティストなども多数現れるなど、現在まで様々な活動が続いている。