金鵄勲章は、かつて制定されていた日本の勲章の一つ。授与対象は大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の軍人軍属。金鵄章ともいう。「金鵄」という名前の由来は、神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭にとまった黄金色のトビが光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話の伝説に基づく。
金鵄勲章は軍人軍属のみでかつ相応の戦功がなくては授与されず、大将や皇族軍人といえども相応の武功がなければ授与されなかった。ただし、大臣や総長としての功績も「武功」に含まれたため、寺内正毅や米内光政のように前線に出ずに功一級を受けた例もある。
また、受章者には功一級で900円、功七級で65円の年金が支給された。昭和初期当時の二等兵の月給は8円80銭であり、かなりの高額であった。この年金は終身年金であったが、戦争の拡大に次ぐ拡大で受章者が急増し国庫の大きな負担になった。そのため1940年に一時金制に変更になり、国債の形で支給された。しかし、敗戦によりその国債は1円の価値もないものになった。また、生存者への授与は1940年を最後に戦争激化のため一時停止され、以後は戦功を挙げた戦死者に与えられるのみとなった。このため、前線部隊では勲功抜群なものに対しては「金鵄勲章の確約」として軍刀や感状、記念品などを与えたり、陸軍では陸軍武功徽章を制定するなどして対処していた。