江戸時代にガマの油の露天販売を行っていた香具師は客寄せのために大道芸を披露していた。江戸時代に筑波山麓にある新治村永井の兵助が、筑波山の山頂で自らの十倍もある蝦蟇(がま)に諭されて故郷の「がまの油」を売り出すための口上を工夫し、江戸・浅草寺境内などで披露したのが始まりとされている。
香具師は、行者風の凝った衣装をまとい、綱渡りなどの大道芸で客寄せをした後、霊山・筑波山(伊吹山とも)でしか捕獲できない、とする「四六のガマ」と呼ばれる霊力を持ったガマガエルから油をとる方法を語る。四六のガマは己の容貌を今業平(在原業平のような美形)だと信じているが、周囲に鏡を張った箱に入れれば自らの醜悪さに驚き、脂汗を流すという。この汗を集め、一定期日のあいだ煮つめてできたものが「ガマの油」である、という。香具師は、ガマの油は万能である、と語り、まず止血作用があることを示すために、刀を手に持つ。刀には仕掛けがしてあり、切っ先だけがよく切れるようになっている。その刀で半紙大の和紙を二つ折りにし、「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚……」と口上しながら、徐々に小さく切っていく。小さくなった紙片を紙吹雪のように吹き飛ばす。このように刀の切れ味を示したあと、切れない部分を使って腕を切ったふりをしながら、腕に血糊を線状に塗って切り傷に見せる。偽の切り傷にガマの油をつけて拭き取り、たちまち消してみせ、止血の効果を観客に示す。また、ガマの油を塗った腕は、刃物で切ろうとしても切れず、防護の効能があることを示すというもの(刀にガマの油を塗る場合もある)。