新橋花柳界の特別な催しが東をどり。明治の頃、芸能を街の色に決めた新ばし芸者は一流の師匠を迎えて踊りと邦楽、技芸を鑽きました。やがて芸の新橋と云われるようになり、大正14年にその披露の場に新橋演舞場を建設します。当時、最新のレンガ造りの小屋は新橋らしい進取の風と云えましょう。第一回の東をどりをそのこけら落とし公演といたしました。
戦争でレンガの壁を残して焼けた演舞場、復興、東をどりでは当時の文豪から舞踊劇の脚本をもらいます。吉川英治、川端康成、谷崎潤一郎、井上靖、川口松太郎などなど、錚々たる人脈です。女だけの舞踊劇、台詞の稽古などしたことのない芸者衆の舞台は大きな挑戦です。そこにまり千代と云うスターが現れます。男姿も凛々しく踊りの名手の出現に東をどりは春秋のふた月の興行となり、まり千代のブロマイドを持った女学生が楽屋口に人垣をつくる光景がありました。
今の東をどり、5月の4日間、一見お断り花柳界の門が開きます。そこには日本の料理に芸能、書画、工芸、華道、茶道、建築まで日本の時が育む文化が在ります。
東をどりのHPより抜粋