Image may be NSFW. Clik here to view.日本でのテクノポップ黎明期にあたる1970年代末 - 1980年代初頭にかけて、彼らは日本の音楽シーンにおいては異色の存在であり、マスコミからは「ピコピコ系」と呼ばれる事もあった。しかしYMOの逆輸入ブレイク以降、言葉としての「テクノポップ」も定着し、また彼らの活動も活発化していきP-MODEL、ヒカシューと共に「テクノ御三家」の一つに数えられることもあった。立花や佐久間が海外のバンドとの親交がある縁もあって、1stアルバム発売後程なくして米国ツアーが実現、B-52'sと共演を果たし大反響を得る。その後もラモーンズやトーキング・ヘッズなど一線級のアーティストと共演。