ソマリア沖の海賊とは、アデン湾とインド洋のソマリア周辺海域で発生し国際海運の障害となっている海賊。1990年代初期にソマリア内戦が始まった頃から目立つようになり、近年に活動が活発化して、スエズ運河・紅海を経由し地中海とインド洋を往来する年間約2万隻の商船にとって大きな脅威となっている。事件の多くはアデン湾で発生し、2008年にいたっては、そのほとんどがアラビア半島のイエメン沿岸というべき海域であった。
海賊たちはもともと漁業に従事していた漁民であった者が多い。モハメド・シアド・バーレ政権時代には欧州や日本がソマリアの漁船や漁港の整備に対して援助を行っていた。マグロなどソマリア船の漁獲のほとんどは、魚を食べる習慣の少ないソマリア国内ではなく海外への輸出へと回し、外貨獲得の手段としていたが、1991年のバーレ政権崩壊後は内戦と機能しない暫定政府(無政府状態)が要因で魚の輸出が困難となった。さらに、管理のされていないソマリア近海に外国船、特に欧州の船団が侵入して魚の乱獲を行ったため、漁民の生活は一層困窮した。
1990年代に軍部と欧米の企業が結んだ「沿岸に産業廃棄物の投棄を認める」という内容の条約に基づき、産廃が投棄されるようになる。そのなかに他では処理が難しい放射性物質が多量に含まれていたため、漁師を中心とする地域住民数万人が発病。地域住民の生活を支えていた漁業もできなくなった。この結果、困窮した漁民がやむなく自ら武装して漁場を防衛するようになり、一部が海賊に走ってそれが拡大したものとする分析がある。