イスラエルは占領中にオフィラという入植地を築き、ナーマ湾周辺にリゾートホテルやダイビングクラブなどを建設し、この地をリゾート地として大開発した。オフィラという入植地を含めシャルム・エル・シェイクがエジプトに返還されたあとも、エジプト政府はこの地の観光開発を継続し、国際空港を抱えイスラエルを含め中東やヨーロッパ各地から保養客が訪れるという中東随一の高級リゾート地へと変身させた。国際会議も誘致されるほか、パレスチナやイラクなど中東の紛争解決に関わる国際会議や首脳会議も、数多くこの地で行われている。
2005年7月23日、市場や複数のホテルの近くなどで自動車が爆発するテロ事件があり、多くの死者、負傷者を出した。それ以降、この地に向かう道路における検問や観光施設への警備が強化されている。
ホスニー・ムバーラク大統領はシャルム・エル・シェイクを愛し、閣僚を呼び寄せて政務を執ったり、各国の首脳会議をこの地で行ったりすることもあった。2011年エジプト騒乱による失脚後、彼はこの地の私邸に滞在していた。