成績優秀の女子高生が「刺激がない」と大分の高校を中退して博多へ。ウエイトレスのバイトで生活していたが、1年半後にソウルバンドのボーカルに。渡辺プロから声がかかったのが19歳。上京し1年のレッスンを積んで80年に「バスルームから愛をこめて」でデビュー。東京・新宿のライブハウス「ルイード」を拠点にステージを重ねた。
初ライブで35人だった観客は、2年後いす席、立見席の計400枚のチケットがすぐ売り切れるほどの人気に。“本拠地”からの卒業を決めたのが、「赤道小町…」発売直前の82年3月。売れて大きなホールでできるようになったというよりは、これ以上“小屋”でやると入りきれないファンであふれかえり、危険な状態になるからというのが本当の理由だった。
レコード売り上げは41万枚を記録。TBS「ザ・ベストテン」に登場した時は、本物のゾウの上にまたがり熱唱。番組スタッフが、原始人のような奇抜な衣装を着てきた山下にヒントを得て、2週間かけて手配したという。「あのころはわけもなく突っ走っていた。自分が楽しくないと、人も楽しませられないってね」。山下はそう当時を振り返っている。