篠田町会ねぶた実行委員会・ねぶた師 不明
桶狭間の戦いで今川義元に奇跡的な勝利を遂げた信長は、新進気鋭の戦国大名として周囲も驚く急成長を遂げ、舅・斉藤道三の敵討ちとして美濃を征服した後に「天下布武」の印を掲げ、「美しき流れを絶やさず新しき国を作るため」、キリスト教や木下藤吉郎(後の羽柴秀吉)のような”新参者”を取り立てる一方、足利将軍家を排斥し、比叡山を初めとする神社仏閣を弾圧、朝廷や公家を無視し、家族や古くから仕えてきた家臣すら切り捨てる。
自ら定めた50年の人生が迫るにつれ、天下を統一して世界にも乗り出し「新しき国を作る」目標に燃えた信長は、「自らは神である」という”ふり”すら行うが、その傲慢な振る舞いは次第に心服していた家臣達に不審を抱かせ、思いもかけない終焉を遂げることになったのだった。
織田信長 天下布武送り絵2014年8月3日に青森県庁向かいから撮影 管理者に無断での使用・複製・転載・流用禁止