1973.12.12、杉山登志は遺書を残し、37歳で自殺した。
「リッチでないのに リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません
夢がないのに 夢を売ることなどは…
…とても 嘘をついてもばれるものです」
代理店を通さずに広告主と直接取引きする「直システム」を最大限に利用。現場ではすべての部門の最終権限を握り、絶対的な存在だった。
一方で部下を育てる能力にも秀でており、杉山グループと呼ばれるスタッフ集団を形成。その中から弟の傳命をはじめ、宮口敏雄、結城臣雄、木村俊二、永井三樹男、長沢佑好など後のCM界を担う才能が巣立った。1960年からその死まで、資生堂を中心に500本以上のCMを制作した。CMソングの作詞をする事もあり、自身が手がけた資生堂CM「サマーローション」(歌:大滝詠一)は彼の作品。