

弘前城天守閣が曳家される前までは、下乗橋から見上げると弘前城天守閣が石垣の上に聳えるように建っていました。曳家後の弘前城天守閣は、本丸の中央付近にあって岩木山が天守閣からしっかりと見えています。
下乗橋は弘前城の内濠を隔て、本丸と二の丸に架かる橋です。藩政時代、二の丸側には下馬札が置かれ、藩士は馬から降りるよう定められていました。下乗橋の名は、そのことに由来します。
慶長16年(1611年)に2代藩主 津軽信牧によって建築されました。築城当初、橋の両側は土塁坂でしたが、文化八年(1811年)に石垣に直しました。藩政時代は、戦になると敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。そのため今に見られる立派な姿ではなく、簡素なものだったと思われます。

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