弘前ねぷたが最初に登場したのが享保7年(1722年)の弘前藩庁日記で津軽藩5代藩主・津軽信寿が紺屋町でねぷたを見た様子が書かれていたとすると、再来年の2022年には弘前ねぷたが運行されてから300年の長きに渡って運行された非常に歴史の長いお祭りとなります。
どれも同じような絵に見えてしまう弘前ねぷたですが、表の鏡絵と裏の袖絵と見送り絵は全く違います。表と裏に対比するように男女が描かれていたり印象深い絵が描かれています。
前ねぷたの肩によく見られるのが"石打無用"です。これは字面と意味が全く違って、本来の意味は石を投げつけてはいけないと言うものです。これは戦前まで行われた喧嘩ねぷたの名残です。
藩政時代のある日、ねぷた運行の途中で道を譲る譲らないと言った些細な争いで町内同士が対抗するまで発展したケンカがありました。戦前のケンカねぷたでは、殺伐とした生首や幽霊が描かれていました。下新町ねぷた愛好会が運行する前ねぷたには、毎年頻繁に生首や幽霊の絵が描かれています。
ねぷたの時期が近くなると、ねぷた小屋や町内の小学校からねぷた囃子の練習で笛や太鼓の音が鳴り響きます。これが聞こえてくると、津軽人のじゃわめぐ(ゾクゾクする)感覚が甦ります。