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熊野詣に出かけ、京都を留守にした1159年(平治元年)12月。義朝は法皇の御所『東三条殿』を焼き討ちにし、法皇を幽閉。こうして平治の乱が引き起こされた。
乱を知った清盛は急いで京に引き返し、法皇を奪還。清盛は兵を挙げ、義朝は落ち延びた先の尾張で暗殺された。この乱により、源氏は壊滅的な被害を被り、平氏政権が誕生した。
この乱に於ける戦いの白眉は『紫宸殿の戦い』と呼ばれるものである。清盛の長男、重盛が平安京大内裏の待賢門に五百騎で攻め入ったのだが、それを義朝の長男、弱冠19歳の義平が手勢わずか17騎で迎え撃ち、重盛軍を散々に蹴散らした。その時、紫宸殿前庭で一騎打ちした義平は、重盛の首を掻く寸前まで追い詰めたという。
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