平成元年に開催された第71回全国高等学校野球選手権大会はベスト4に東北勢が2校勝ち上がり、そのうち仙台育英が勝って決勝へ行きました。惜しくも対戦相手の帝京に0-2で負け、またしても真紅の大優勝旗は白河の関を越えなかった年でした。
その仙台育英の好敵手となったのが、弘前工です。これまでの甲子園は春夏とも出ると負けが続きました。2回戦から初戦を戦い、沖縄の石川に勝って甲子園初勝利を挙げました。この時のエースだった斎藤健一は、出身中学が石川です。弘前にも石川と言う地名があるのです。
3回戦で負けることになる仙台育英と対戦しました。前年までのエースだった佐藤がケガで一年を棒に振ってしまったのですが、この時のピッチングは鮮やかでした。前年甲子園に出場した時は、初出場の宮崎南に4-8で負けたのですが、結果的に仙台育英に2点しか取られなかったです。
試合は1点ずつ取り合って、大詰めの8回裏に仙台育英エースの大越基にホームランを打たれてこれが決勝点になってしまいました。
試合後の弘前工・佐藤は自分の力を発揮できたのか、涙一つ見せずに帰弘したそうです。弘前工の横浜監督も2試合目は佐藤に投げさせることを決めていたようで、まさに全員野球でした。仙台育英と対戦していなければベスト8まで勝ち上がっていたのかも知れません。それほど弘前工は強いチームでした。