東京ダイナマイトは、日本のお笑いコンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1990年代中頃に、ハチミツ二郎と曽根卍(そねまんじ)で結成。2001年に、二代目としてハチミツ二郎が松田大輔と再結成した。コントもするが、主に松田のシュールなボケにハチミツがクールなツッコミを入れる形式の漫才をする。
ハチミツ二郎が20歳の頃、パチンコ店で店員をしていた曽根卍と知り合い、初代「東京ダイナマイト」を結成。新宿ラ・ママのオーディションで初舞台を踏む。1997年10月、浅草キッド主催のライブ、浅草お兄さん会で優勝。その後も浅草お兄さん会と大川興業主催のライブ「すっとこどっこい」にレギュラー出演。しかし、ハチミツが社長を務めていたインディーズのお笑い事務所「トンパチ・プロ」の低迷期に初代は解散した。
新しい相方を探していたハチミツが、元「温泉こんにゃくアクロバットショー」の松田と知り合い、松田が以前より「ハチミツとコンビを組みたい」と考えていたことから意気投合。「トンパチプロ」の解散宣言と同時にコンビ結成を発表し、2001年、新生「東京ダイナマイト」がスタートした。それに伴いマネージメントがオフィス北野預かりとなり、これと前後して浅草キッドと師弟関係を結んだ。
コンビ名は、ニューロティカの楽曲『東京DYNAMITE』からとったものである。オフィス北野所属のタレントにはビートたけしが芸名をつけることが多いが、たけしはその場の気分でふざけた名前をつけることも多いため、「ひどい名前をつけられたらたまんないから」と自分たちで勝手につけた名前らしい。
「同業者向けにネタを作っている」と公言しており、世間的な評価よりも芸人間での人気や評価が高いコンビでもある。「東京ダイナマイトのネタを袖で見ている芸人は売れる」というジンクスまであり、2007年にサンドウィッチマンが、2009年にパンクブーブーがM-1グランプリで優勝しそれを実証することになる(両者とも東京ダイナマイトの袖芸人)。