1980年9月1日、ピンク・レディーは二人揃って解散を発表。それから7か月後の1981年3月31日、後楽園球場で解散コンサートを開催する。
しかし、そのコンサート当日はみぞれ交じりの冷雨が降り続く悪天候であり、空席が目立ったスタンドに象徴されるように絶頂期の面影はほとんど無く、何かと比較されたキャンディーズの解散コンサート(1978年4月)が超満員だったのと比べると、あまりにも寂し過ぎるものであり、感涙し抱擁する瞬間までテレビサイズに収めるためにディレクターから急かされた。解散コンサートの観客動員数は主催者発表で3万人、消防署関係者の証言では1万5000人程度とされる。
活動期間は4年7ヶ月。なお当時の所属事務所は解散直後に倒産し、社長であった貫泰夫も芸能界を離れた。