最初にレコーディングされた作品は、都倉による案外地味で大人しいミディアムテンポの曲調で、阿久も別の詞をつけていた。しかしディレクターの飯田久彦が「これまでの作品に比べ、勢いがなく、面白みがない」として都倉の新しい曲を持って来て阿久に歌詞の作り直しを願い出た。
翌日の夜にレコーディングという予定の中、阿久は深夜から新たな歌詞を創作して当日の午前4時前に完成、都倉による編曲も夕方に完成してレコーディングに間に合った。阿久は最初の大人しい曲のまま世に出ていたら、ピンク・レディーの人気の失速のきっかけとなっていたかもしれないと語る。
歌詞を書く上でモチーフとなった野球選手は、当時クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に所属していた永射保とされる。阿久は、前年1977年のオールスターゲーム第2戦の4回表に永射が読売ジャイアンツの王貞治に対してアンダースローから大きなカーブで空振り三振に仕留めた投球に感銘を受け、この歌詞を書いたという。振り付けの投球フォームがアンダースロー気味なのは、そのためである。
また歌詞には直接名前こそ出てこないものの、発売当時通算本塁打数世界一の記録を作り、時の人となっていた王を連想させるフレーズが随所に盛り込まれている(「背番号1の凄い奴」や「フラミンゴみたいひょいと一本足」、「スーパースターのお出まし」など)。阿久はこの曲がヒットした後、王に会った際「僕の歌をありがとう」とお礼を言われたという。最初の歌詞には王を連想させる箇所はなかった。