江原邸では王妃の手術が行われていた。手術を見守った典夫はD-8世界の従者の元へ行った。
アゼガミ「狭いところだな」
江原「申し訳ございません」
スズシロ「この世界には、こんな場所しかないのか」
アゼガミ「そんなはずはない。ここはこの老人が年金で一人暮らしをしていたマンションだ」
江原「いや、年金だけでは賄えません。退職金と株で少々設けた金で細々と…」
アゼガミ「お前の話なぞいい」
スズシロ「王妃や姫に申し訳なさすぎる」
典夫「この場所を拠点と定めたのには3つ理由があります。1つはらせん軌道上でゾーンが最も安定している16のポイントの1つであったということ。もう1つは、ここがD-8世界において王家の場所であったということ。そしてもう1つ、ナギサ様のアイデンティカがこの地におわします。それをお守りする必要があると判断いたしまして。」
アゼガミ「どこに」
典夫「この隣です」
アゼガミ「なんと…」
スズシロ「どちらの方向に」
典夫「あちらです」
スズシロ「それはもったいない」
スズシロ「ご健勝であられるのか?」
典夫「はい」
スズシロ「それは何よりだ」
典夫「このような場所にお連れして申し訳ございません」
スズシロ「姫、もう少しマシな場所を探させますので、しばらくはここでご辛抱くださいませ」
姫の汚れを洗い流すモノリオ。髪を拭きながら姫が言う。
アスカは、枯れた一輪の花に目を止める。
アスカ「これは」
典夫「花でございます。もう枯れてしまいましたが」
アスカ「枯れた花」
典夫「はい、この地の友人からもらいました。」
その時、江原老人(ミッキーカーチス)の部屋の呼び鈴がなる。
香川みどり(桜井美南)が来訪していた。
「香川みどりです。追い払いましょうか?」とモノリスのマギに制御された江原老人がモノリオに問う。
典夫「いや、僕が応対しよう」
みどりは、花束を持っていた。
みどり「おはよう。これおみやげ…ほら、うちは花屋だから」
典夫「ありがとう」
みどり「具合はどう」
典夫「具合?」
みどり「身体の調子」
典夫「特に問題はない」
そっけないモノリオの態度にじれるみどり。
幼馴染には告げられた率直な気持ちが、なぞの転校生には告げられない。そのもどかしさが胸を打つ。
典夫「今、少したてこんでいる用件があるならまた今度」
みどり「ううん別に用はないの。ちょっと心配だったから」
典夫「君に心配をかけるようなことはない」
みどり「そう。明日は学校に来る?」
典夫「まだわからない」
みどり「それじゃ、また」
典夫「お花をありがとう」
扉は閉じられた。みどりは物憂い表情で部屋を後にする。
岩田広一(中村蒼)は、倦怠感に包まれてベッドにいる。
幼馴染に告白して瞬殺されたことが広一の胸をふさいでいる。
広一「何もやる気がしない」
好きな女の子がなぞの転校生に花束を贈ったことにも気がつかないうかつな広一だった。
モノリオに贈られた花束は、そのままアスカに捧げられる。
アスカ「これは」
典夫「この世界の花でございます」
アスカ「美しいな」
典夫「この世界には、花が満ち溢れています」
アスカ「香りが」
典夫「お気に召しましたら、いくらでも調達できますが…」
その時、突然江原老人はモノリスのマギの恩恵を失い、ただの認知症の老人に戻る。
江原「うわなんだ!おまえたちはなんだ」
「無礼者」とスズシロは立ち上がり、江原老人を暴力で鎮圧する。
典夫「すみません。モノリスのリミットが来たようです」
アゼガミ「なぜ、そんなしくじりを」
典夫「申し訳ございません。マギのタイムリミットが過ぎてしまったようです。実はあの男、認知症で、我々の事を幻だと思っています。ただ、時々錯乱状態になります。」
スズシロ「王妃と姫の御前で危険すぎるぞ。ずっとコントロールしておけ。」
典夫「それは無理です。モノリスのストックがありません。」
スズシロ「そいつらは、大丈夫なのか?」
典夫「彼らはマギではなく、アステロイドを。」
スズシロ「こやつらはアステロイドか? そんな卑しい者達を、この部屋になぜ入れる?これが王家の護衛隊とは…。嘆かわしい。」
典夫「彼らは必要な員数でございます」
スズシロ「・・・」
典夫「お二人には打ちあわせしたいこともあり、この地の偵察を具申いたします」
スズシロ「偵察か」
典夫「紫外線が有害ですので、日傘を用意下さい」
三人は屋外に出た。
アゼガミ「姫様の御前では申せぬことがあるようだな」
典夫「物資が不足しております」
アゼガミ「そうか」
スズシロ「綺麗な青空だ。」
アゼガミ「幼い頃を思い出す。」
スズシロ「私は記憶にもないです。こんな空が毎日見れるのか?」
典夫「曇ったり、雨が降ったりもします。」
スズシロ「雨は、嫌だな。」
典夫「きれいな雨ですよ。D-8世界よりは、はるかにきれいな雨です。」
三人はカフェに入店する。
アゼガミ「こんなうまいコーヒーが飲めるのか。」
スズシロ「素晴らしいわ。」
アゼガミ「いい世界だな。」
典夫「ところで補給部隊は、いつ来るんでしょう?」
アゼガミ「わからん。生きてここまで辿り着けるかどうかもわからん。」
典夫「モノリスがじきに底をつきます。そうなると、この世界の人間を兵隊に使うことができなくなり、我々は丸裸の状態になります。」
アゼガミ「お前がいるじゃないか。」
典夫「もちろんですが。僕一人の力で、皆さまをお守りできるかどうか…。」
アゼガミ「我々のことはいい。お前は王妃と姫のケアに全力を尽くせ。」
典夫「DRSのプログラムデータは?」
アゼガミ「わからん。」
典夫「あれがないと王妃は…。」
アゼガミ「わかってる。」
典夫「安楽死の必要があれば、いつでもご指示ください。伊達坂医師に処置していただきます。」
スズシロ「今言う話じゃないだろ?なんてデリカシーがないんだ。」
典夫「申し訳ありません。」
スズシロ「イライラするわ。あなた。」
典夫「すみません、ただのヒューマノイドです。お気になさらないで下さい。」
スズシロ「あなたが言わないの!」
典夫ことモノリオは人間ではなく、人造人間だったらしい。
アゼガミ「ところでモノリオ。ナギサ様のアイデンティカについて説明しろ。」
典夫「はい、彼は隣の606号室に住んでいます。名前は岩田広一。歳は17歳。ナギサ様と同じ年齢です。彼の両親の岩田亨、岩田君子とナギサ様のご両親とは何の共通性も見いだせないので突然変異タイプかと思われます。」
スズシロ「突然変異の発生源では、複数のミュータントが確認できる場合が多いはずだが。」
典夫「はい、実は岩田広一には妹がおりまして。7歳で亡くなっていますが、彼女は姫様のアイデンティカです。」
アゼガミ「ということは、この世界でナギサ様と姫様は兄妹ということか。」
スズシロ「兄妹?それでは、2人は、結婚できないのか?」
アゼガミ「法的根拠がある訳ではない。そもそもアイデンティカ同士の婚姻など、法律のどこにも書かれていないわけだから。過去の歴史を振り返ってみても、王家において近親婚は問題には当たらない。大事なのは家系の存続であって、種や卵は試験管の中でいかようにもなろうから。」
スズシロ「とりあえず結婚させてしまって、子供の種は後で適当に調合しろと?忌まわしい。なんという罰当たりなことを。」
アゼガミ「罰を当てる神もきっと既に死んだろう。残された我々の使命はただ一つ。王家の存続と国家の復興。」
典夫「補給部隊はいつ到着するのです?」
アゼガミ「わからん。来るとも来ないともわからん」
典夫「しかしモノリスのストックが底をつけば、皆さまをお守りすることに支障が生じます」
アゼガミ「我々のことはいい。王妃様とアスカ姫をいやアスカ姫をお守りすることがお前の絶対的な使命と心得よ」
典夫「心得ました」
その頃、江原老人は再び正気を取り戻し、部屋を脱走し隣室に飛び込む。
「どうしたの江原さん」と広一の母(濱田マリ)が応じる。
江原「いるんだ…たくさんいるあいつらがいる」
広一「幻覚だろう。僕が一緒に行って誰もいないと確認すれば落ちつくと思うよ」
広一は、江原老人とともに江原家に戻る。
しかし、そこには無数の人々が実在した。
広一「え」
江原「いるだろう」
広一「そんな」
江原「こいつらこいつら」
アステロイドたちは、江原老人を抑えつけ医師が背中越しに麻酔をかける。
広一の心にようやく恐怖が芽生える。
しかし、逃げようとした足がもつれ彼らに確保されてしまう。
奴隷「こいつは誰だ」
冴木「岩田広一だ」
広一「冴木先輩助けてください」
冴木「どうする」
奴隷「逃がすわけにはいかないようです」
奴隷「眠らせよう」
広一「やめて助けて・・・殺さないでくれ!」
そこへ騒動を聞きつけたアスカが現れる。
アスカ「何事です…あっ!」
広一「ええっ?」
アスカは見た。恐らく異次元世界でアスカの婚約者であったと思われる王族の一人、ナギサにそっくりな広一を。
広一は見た。死んだ妹にそっくりなアスカを。
アスカ「ナギサ様から手を離しなさい」
アスカに命じられた奴隷たちは手を引く。広一は恐惶に駆られる。
広一「ゆ、ゆ・・・」
広一は無我夢中で江原家を飛び出し、岩田家に逃げ込む。
「どうしたの」と母、君子(濱田マリ)。
広一「ゆ、ゆうれいが…かあさんかあさん、ゆうれいがいた。かあさんかあさん」
君子「落ちつきなさいよ」
しかし震えが止まらない広一だった。その時、江原家に三人が戻ってくる。
典夫「何事だ」
冴木「江原が、またコントロールを失いました」
典夫「馬鹿な…リミットには、まだ余裕がある」
冴木「しかし」
典夫「そうか、解析します」
モノリオは、原因に気がつく。
典夫「モノリスのコントロールは効いているはずなんだが…。あの時だ。」
アゼガミ「どうした?」
典夫「昨日、鎌仲龍三郎という、この町のマフィアのボスをモノリスでコントロールしようとしたら拒絶されました。そればかりでなく、モノリスを乗っ取られそうになりました。おそらくあのときに、別のコマンドが裏から書き込まれたんだ。別のIDで書き込まれたファイルを見つけました。今、解析してます。」
アゼガミ「どういうことだ?」
典夫「我々と同水準の者が、この町にいるという事です。何者かはわかりませんが、少なくとも好意的ではない。敵かもしれません。」
スズシロ「敵?」
典夫「はい。今解析結果が出ました。完全にブロックされていて、中身が見えません。とりあえず、ファイルを削除します。誰の仕業かはわかりませんが、D-8から我々を追ってきた者の仕業であることは間違いありません。」
アゼガミ「敵か」
典夫「わかりません」
アゼガミ「とにかく状況を修正せよ」
典夫「わかりました」
アスカ「あの人は誰? ナギサにそっくりだったが…。」
スズシロ「ナギサ様のアイデンティカです。」
アスカ「アイデンティカ?私のアイデンティカも存在するのか?」
典夫「確認しました。彼の妹がそうでした。幼き頃に亡くなっています。」
アゼガミ「ともかくこうなった以上は、ナギサ様のアイデンティカをコントロールするしかない。」
アスカ「彼をコントロールしてはならぬ。」
スズシロ「しかし姫様…。」
アスカ「ならぬ!」
アゼガミ「承知しました。しかし…どうしたものか? 彼が我らのことを世間に言いふらしたら厄介です。」
アスカ「言わぬように頼めばよい。私がお願いしてみるから、彼をお呼びしなさい。」
典夫「直接会って話すというのは、いい手かもしれません。ただきっと彼は怖がっている。こちらから出向いた方がいいと思います。僕が江原とまいりましょう。いかがでしょうか? 皆さま。」
スズシロ「会ってどうする?」
典夫「なんとか説得いたします。」
アスカ「彼に任せよ。」
モノリオは、岩田家を訪れた。
君子「江原さんのお孫さんよ」
広一「・・・」
典夫「やあ、びっくりさせたみたいだね」
広一「・・・」
典夫「実は親戚にテレビ局の人間がいて部屋を借りたいと言うことで、今日はドラマを撮影していたんだ」
広一「ドラマ」
典夫「おじいちゃんはそのことをすっかり忘れていたみたいで」
広一「・・・」
典夫「とにかくおどかせてすまなかった。ではまた明日、学校で」
広一の母は笑う。
君子「まったく気が小さいんだから」
広一「でも幽霊が妹の幽霊が」
典夫「君の妹さん?そんな小さな子はいなかったと思うけれど」
広一は我に帰る。
そうだ確かに夢に出て来た妹の姿に似ていたが妹はもっと幼くして死んでいるのだった。
広一「・・・」
広一は不可解な気持ちを残したまま、微笑みを浮かべたモノリオを見送る。
広一「おかしいぞ。やはり変だぞ、あいつは変だ」
モノリオは隣室に戻る。
アゼガミ「調整できたのか」
典夫「ドラマの撮影ということにしておきました」
「ドラマ?」とアスカが質問する。
「姫様はドラマをご存じありませんか」とスズシロ。
「おいたわしや」とアゼガミ。
典夫「お目にかけましょう」
モノリオはアスカにドラマを見せた。
アスカ「なるほど芝居の記録のようなものか」
典夫「でございます。戦前にはD8世界でもこのようなものが作られていたのです」
アスカはドラマの中の光景に興味を示す。
アスカ「これはどこか」
典夫「学校の教室です」
アスカ「学校」
二人の侍従はそっと涙をぬぐう。
王家に生まれながら花もドラマも学校も知らぬアスカが憐れであったのだ。
「すべて戦争が悪いのです」とスズシロは呟いた。
【用語解説】
アイデンティカ・・・違う次元に、ある一定の確率で同じ人間が存在する。そうした者達の総称。アスカは広一の妹のアイデンティカであり、広一はアスカの許嫁のナギサのアイデンティカ。
D8世界・・・平行世界の中で、存在が確認されている次元のひとつ。アスカや王妃が住んでいた世界であり、プロメテウスの火によって滅んだ。
第七話終わり