弘前城北門は以前、大光寺城の城門を慶長16年(1611)に移築したもので、実戦経験のない弘前城の中で唯一実践の痕跡が残り柱には多数の矢傷や刀傷を見ることが出来ます。
弘前城に現在残っている城門の中では規模が最大で矢狭間や鉄砲狭間がないなど多の城門とは異なる形式を持っています。弘前城は四神相応の思想で築かれており、北方の守護神として北に位置する丘陵に住むとされる玄武を想定され、玄武は脚の長い亀に蛇が巻き付いた神獣だった事から、それに因み亀甲門と呼ばれました。弘前城北門はは桃山時代の城門建築の遺構として大変貴重な事から昭和12年(1937)7月29日に国指定重要文化財に指定されています。
築城後間もなくはこの門が弘前城の正門とされていました。やがて追手門が正門となり、この北門は裏門の扱いとなりました。
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