1959年の『おとなの漫画』以降、コメディアンとして多くのTVバラエティ番組に出演。「ガチョン」(当時は伸ばさなかった)「びろーん」「アンタ誰?」「ムヒョーッ」といった各種のギャグで不動の人気を獲得した。「谷だァ!」というギャグも一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった青島幸男の「青島だァ!」に対抗する形で発せられたもの。青島の葬儀・告別式では弔辞を担当し、「『谷だァ!』…(『青島だァ!』が返ってこないので)…寂しいです」と呼びかけた。
晩年はバラエティ番組への出演がめっきりと減ったが、1990年代後半にはスーツにサングラス姿で、『笑う犬の冒険』のオープニングMCを務めた。また2006年から2009年までNHK教育テレビ『美の壺』に出演、飄々とした隠居の主人として番組の案内役を務めた。
2008年ごろから体調を崩し始め、2009年3月までにレギュラー番組をすべて勇退し、療養生活をはじめていた。ハナ肇の付き人を務め、長く親交があったなべおさみによると「谷啓は、2008年ころから物忘れがひどくなっていた。2010年春に見舞いに訪れた際には、なべのことが分からなかったこともあった」と語り、晩年の谷に認知症の傾向があったことを示唆している。
2010年9月10日、私邸の階段から転落し、頭などを強打したために杏林大学医学部付属病院に搬送されたが、11日午前5時7分脳挫傷のため78歳で急逝。2009年に出演した「釣りバカ日誌20 ファイナル」が遺作となった。