『8時だョ!出発進行』は、1971年4月3日から同年9月25日までTBS系列局で放送されたバラエティ番組。放送時間は毎週土曜 20:00 - 20:56
『8時だョ!全員集合』に出演していたザ・ドリフターズが、日本テレビ系の『日曜日だョ!ドリフターズ!!』に出演することとなり、半年間番組を休止することとなったため、その間のつなぎ番組として制作するということが挙げられている。これはTBSの方針ではなく、クレージーキャッツ・ドリフターズ双方が所属する事務所・渡辺プロの意向によるものであったとされている。
日本テレビが強力にドリフのブッキングを渡辺プロに要求したこと、そして渡辺プロ側もクレージーキャッツをグループとしてもう一度位置付け、ドリフターズと二枚看板(正確には当時活動中であったザ・ピーナッツと合わせた三枚看板)としたかった事が背景にあったからである。渡辺プロも当時の社長渡辺晋が直接TBS側に「ドリフは半年間だけだ」と宣言している。
この渡辺プロ側の一見居丈高にも思える態度に、TBSでは一時渡辺プロ所属のタレントを今後一切締め出すべきという強硬論が全社内で上がるほど感情的になっていたというが、最終的には当時の編成局長の冷静な判断により番組プロデューサーの居作昌果に対応が任され、この要求を呑んで当番組の制作に同意したことで収束した。なお、当番組の制作には居作をはじめとする『全員集合』のスタッフ全員がそっくりそのまま関わった。
しかし、ブッキングした張本人の日本テレビ側が仕掛けやバンドなどで大幅な費用を使うためにドリフのコントを嫌うようになり、結局約束の半年間で『日曜日だョ!ドリフターズ!!』は終了、ドリフは『全員集合』に戻ることになり、当番組はその役割を無事に全うする形で終了した。
他には『シャボン玉ホリデー』で一躍渡辺プロをお茶の間に広めた日本テレビに対する恩返しとして、ドリフを日本テレビに渡したという説もある。
ただし「番組の人気が出ずに視聴率が全然伸びないため終了した」とする説は誤りで、居作は当番組について、「土曜8時という激戦区で、しかも4月から9月というジャイアンツ・ナイターがあるシーズンの6か月間、平均視聴率15%と健闘した」「映画やテレビドラマの主役ばかりをやっていた植木等が、この番組のために汗まみれ、泥まみれになって仕事をしてくれたことに今でも頭が下がる思いがする」と述懐している。