紀元前7世紀頃、フェニキア人によってアイボシム(Aiboshim)の町が島に築かれた。都市の核は、丘の上のアクロポリスと、湾の岸に面した港湾地帯から成っていた。その他に神殿と、重要な製品であった陶器の工房があった。紀元前5世紀頃の都市の人口は、4,000人から5,000人であったと概算される。カルタゴに占領された後、地中海各地で作られた製品を輸入する一大貿易センターとして活気のある都市となった。紀元前146年のカルタゴ滅亡後、都市は政治的にも商業においても自治を維持し続けるが、後にローマ帝国領となった。70年、ウェスパシアヌス帝時代に都市はムニキピウムとなり、その名をフラウィウス・エブスス(Flavius Ebusus)と変えた。
ローマの衰退と、424年のヴァンダル族侵攻は重なって起きた。その後東ローマ帝国が、次いでムーア人が島を占領した。1235年8月8日、アラゴン王ハイメ1世が采配を振ったマヨルカ王国遠征で、タラゴナ大司教ギリェム・デ・モントグリ、ウルジェイ伯ペドロ1世らによってエイビッサは奪還された。
都市の標高の高い部分ダルト・ビラは、アラブ人によって築かれた三方を防衛する要塞が不十分であったことから、フェリペ2世は都市をオスマン帝国とバルバリア海賊の攻撃から守るために補強を行った。この四方の守備を強化した要塞は16世紀に完成した。これは1999年より世界遺産に登録されている。