矢野 顕子(1955年2月13日 - )は、シンガーソングライター。アメリカ合衆国ニューヨーク州在住。
医師である父の開業にともない、3歳で青森に転居。中学まで青森市で過ごす。青森市浪打の青森明の星高等学校付属ピアノ教室でピアノを習い始める。鍵盤にカミソリを立てて演奏するという厳しいレッスンだったという。
既にこの頃から「その日起きた楽しかったこと」などを、即興のピアノと歌で表現していたほか、発表会では既定の曲を即興でアレンジすることもあったとされている。ザ・ゴールデン・カップスのファンになり、しばしば当時居住していた青森から、彼らがデビュー以来出演していた横浜市本牧のバー「ゴールデン・カップ」まで見物に行っていたという。
1971年 - 軽音楽部に憧れて単身上京し青山学院高等部に入学。 高校生の部活動では満足できなくなっていたため、15歳のとき、父親の知人である安部譲二と当時の妻であった遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」に初めて訪れ、のちに安部家に下宿しながら夜な夜なセッションを繰り広げた。これが業界人の間でたちまち噂になり、やがて高校を2年の夏休みに中退してプロの道を選ぶ。