オートフォーカス一眼レフカメラは数少ない専用レンズに電源やモーターを搭載し、同スペックのマニュアルフォーカスレンズと比較してレンズが大きく重く高価になる割にピント合わせが遅いため、一般ユーザーに受け入れられるレベルではなかった。
一眼レフカメラで劣勢だったミノルタは、レンズ駆動用のモーターや電源をカメラボディに内蔵することで交換レンズの外径や価格をマニュアルフォーカスレンズと遜色ないものにし、1985年オートフォーカスの速度や精度も一般的ユーザーのマニュアルフォーカスを上回るレベルのミノルタα-7000を発売した。このことでミノルタαシリーズは実質的に世界初のオートフォーカス一眼レフシステムカメラとなった。同時に発売されたαレンズは当初より13本を数え、全レンズがオートフォーカス対応である他、ROMの搭載によりズームレンズの画角によって露出のプログラムを変更したりフラッシュの照射範囲を変更させたりと、システム全体での緻密な情報交換によってより高度な自動撮影が可能になっている。
このカメラの出現により一眼レフカメラのオートフォーカス化が大きく進むなど、当時の業界に与えた影響は極めて大きく、「αショック」という言葉さえ生まれた。カメラグランプリ'85、インターカメラ国際賞、ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤー'85受賞。CMソングには、野田幹子の「太陽・神様・少年」が使われており、郵便応募によるキャンペーンで野田幹子の非売品ミニアルバムの抽選があった。