アグネス・ラムは、1970年代後半に日本で活躍したハワイ州オアフ島出身の中国系アメリカ人モデル。渡辺プロダクション所属であった。
ちなみにアグネス・チャンも、同じ事務所(香港出身のチャンとラムの間には何の姻戚関係もない。当時はよく勘違いされていたが“アグネス”はファーストネーム)。このため、両者のファンは、2人まとめて「両アグネス」と称することもあった。
1974年5月のハワイ大会で当初ミスUSAハワイ代表に選ばれたものの、わずかに18歳未満だったためにタイトルを失う。同年に地元の高校を卒業、日本からのハワイロケ映像撮影関係者にスカウトされ、モデルとして活動を始めた。
1975年6月に初代クラリオンガールに選ばれ、同年のライオン製品「エメロンミンキー」というトリートメント剤(当時、リンスは定着していたが、トリートメントはまだ普及していなかった)のCM出演が評判となり、美少女顔に不釣合いなバスト、小麦色の肌はたちまち大人気となりつぶらな瞳、日焼けした肌、豊かな胸(巨乳という言葉は未だなかった)、愛くるしいルックスなどで一世を風靡し、当時の若者に「アグネス・ラムフィーバ」が起きた。