
「竹の子族」の若者たちで原宿歩行者天国は溢れかえり、そのブーム最盛期にはメンバーが2,000名以上いた。ラジカセから流す曲は主に「アラベスク」「ヴィレッジ・ピープル」「ジンギスカン」等の80年代ディスコサウンドが中心だった。
竹の子族の衣装は、そのチームごとに特色のある衣装をデザインし制作していた。これらは主に原色と大きな柄物の生地を多用したファッションで、アラビアンナイトの世界のような奇想天外なシルエットが注目を集め、化粧についても男女問わず多くの注目を引こうと鮮やかなメイクをしていた。竹の子族の生みの親として広く知られるようになった大竹竹則がオーナーを務める『ブティック竹の子』では、竹の子族ブーム全盛期の1980年(昭和55年)、竹の子族向けの衣装が年間10万着も販売された。
「竹の子族」の由来は諸説あるが、自作以外の衣装を1978年(昭和53年)に開業した「ブティック・竹の子」で購入していたことが「竹の子族」の由来の一つと言われている。街頭や路上で若者グループが音楽に合わせてパフォーマンスを表現するブームの先駆けともいえる。
若者集団の文化、ファッションとしても、1980年代前半で注目されるキーワードのひとつ。清水宏次朗や沖田浩之も、街頭でスカウトされ芸能界にデビューした元竹の子族。それぞれの振り付けはチーム毎によって異なる場合が多い。