また、コメディーリリーフとしてのセンスもあり、特に『8時だョ!全員集合』で見せた志村けんとの「夫婦コント」(『私って駄目な女』シリーズ)での絶妙なかけ合いは、音響、照明効果も相まって人気を博し、お茶の間だけでなく、井上ひさしら放送作家達からも絶賛された。
歌手として活躍する一方で、女優としても1975年の映画『スプーン一杯の幸せ』を皮切りに、『遺書 白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』と、5本の映画で主演を務めていたが、1978年には東宝歌舞伎の大御所、長谷川一夫の指名により、『おはん長右衛門』で舞台女優にも挑戦。初舞台ながら長谷川一夫の相手役を演じたことで、役者としての資質が改めて注目されるようになった。その資質は翌年の市川崑監督作品『病院坂の首縊りの家』での一人二役を経て、1980年の初主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』で大きく開花し、その年の芸術祭大衆芸能部門(2部)優秀賞を、当時史上最年少で受賞するなど高い評価を得た。この頃から次第に女優としての活動に比重が置かれるようになっていき、1983年に発売された小椋佳作曲のシングル「眉月夜」のリリ-スを最後に歌手活動を停止、完全に女優業へ転向した。その後は数多くのテレビドラマ、舞台、映画で活躍、歌手時代のみならず女優に転向してからも、芸術選奨新人賞(大衆芸能部門 文部大臣新人賞)や菊田一夫演劇賞を始め数多くの賞を受賞している。