財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部の番組制作を目的として設立された「株式会社東京12チャンネルプロダクション」が、同財団から放送事業を譲り受けて発足した。親局チャンネルである12ch(映像周波数217.25MHz、音声周波数221.75MHz)はかつて在日米軍が使用していた周波数帯であり、在日米軍より返還されたのを受けて新規テレビ局チャンネルとして開局したと言われている。
旧東京12チャンネルは1964年(昭和39年)に財団が母体となって設立された科学技術学園工業高等学校(現・科学技術学園高等学校)の授業放送をメインとして行う科学テレビとして開局し、民放でありながらCMを流さなかった放送局として運営された。
ゆえに慢性的な赤字を抱えたため、1966年(昭和41年)4月から放送時間が午前10時 - 11時30分の1時間半と、夕方 - ゴールデンタイム前半に当たる夕方5時 - 夜9時の4時間の計5時間半のみに短縮。その後「科学テレビ協力会」を母体とした「東京12チャンネルプロダクション」が設立され、1967年(昭和42年)に日中とゴールデンタイム後半以降 - 深夜時間帯の放送を再開した。そのため、他の民放と同様にCMを流すようになった。
1969年(昭和44年)12月、再三にわたる財界からの要請を受ける形で日本経済新聞社(日経新聞)が東京12チャンネルプロダクションの経営に乗り出した。1981年(昭和56年)に翌年のテレビ大阪開局を控え、商号を「株式会社テレビ東京」へと変更。
1989年にテレビ北海道(TVh)が開局することが決定していたため、「北海道」の「H」や「札幌」の「S」では合わないために名称をテレビ東京のコールサイン「JOTX-TV」から取ってTXNに改めた。